新宿 グラムシュタイン初期
ライブハウス新宿グラムシュタインは「Glamorous(魅惑的な)Stein=Stone(原石)」という意味を持たせた英語と独語の造語で
ダイヤのような最高のアーティストの卵を、最期に発掘するという空想の物語のタイトルです。
綴りは過去周遊し第二、第三の故郷と認識する、ロンドンとベルリンへのオマージュ的な意もあります。
アーティスト志望であった自分に出来なかった夢を
ここで出逢うアーティストに託したいという気持ちを込めて造りました。
初期は「アミューズメントバー」という新しいジャンルのお店として
お客様が気軽に立ち寄り、お酒、グランドピアノ演奏、映像、ゲームを楽しんで頂くお店でした。
私とスタッフ2名でオープンした初日、2日目は身内や友人が沢山来て下さって好調に見えましたが、
それも1週間もすると落ち着き、2週目からは閑古鳥状態となりました。
スタッフは毎晩泊まり込みで一生懸命頑張ってくれ、
新宿や高田馬場でチラシ配り、営業の電話、広告掲載などをしましたが現実は甘くはありませんでした。
自分はこれまで仕事で苦労をしたことがあまりなく、
また初めての店舗経営で、右も左も分からない状態でした。
持っていたのは今まで自分が働いた約40ヶ所の職場の中の何人かの経営者さん達の苦悩を、真横で見ていた経験だけでした。
ただそれも、経営者さん達の良いと思うところを盗み、悪いと思うところを排除さえすれば失敗しない!
と経営を甘く考えていたかもしれません(今もまだまだですが…)。
家賃を払えず、気づけば友人から借り入れたお金は家賃2ヵ月分になっていました。
その友人も「今回が最後」と言った3ヵ月目の家賃の借り入れ。
最後と言われ「4ヵ月目の家賃は何が何でも自分で払わなければ」という気持ちと
「もうどうでもいい、店を閉めて何かアルバイトでも探そうかな」という気持ちで揺れていました。
でもせっかく始めたお店なので、やめたくないという気持ちが勝り
(今思えば)初めて必死で頑張った(だろう)時がこの時でした。
この頃には、当初のアミューズメントバーのコンセプトは崩壊していました。
理想の夜明けは人生にはなかなかやってきません。
資金が残り少ない中、一食166円の生活をしつつ、その時にできる、考え得る全ての事を行い、
4、5ヵ月目になった時に奇跡的にお店が回り始めました。
もちろん現実は甘くはなく、それからも大変ではありましたが
初めの3ヵ月よりは、随分と楽に感じられるようになり、
(全てをパーフェクトに収めることはできませんが)皆さんが納得して下さるところまで
持って行けるように 細部へ配慮をし、どんな無理難題も解決し、
思い出の一日になるようにご協力をさせて頂いています。
そして自分自身は、人の心の痛みや課題が分かる人間を目指し、日々精進し、
力を貸してくれるスタッフや関係者様、何よりも自分の未来を信じられるようになり、
より頑張れるようになったことはとても大きな収穫でした。
その当時のスタッフは今も関わってくれており、給料を滞納されても、
自身の貯金を取り崩しながら頑張ってくれたことに感謝し、そして彼らと今も縁が切れずに、
恩返しができていることを本当にありがたいと思っています。